大田原市内、山の手にある有限会社那須屋は、江戸時代より続く、創業300年以上の老舗のきもの店。現社長は、13代目となる大高忠之さん。33歳の若社長だ。
もう一つの家業である氷店は、大高さんの祖父の時代から始まった。今では大田原でも有名な氷屋として知れ渡っている。特に夏のかき入れ時のニーズは多く、販売や配達はもちろん、育成会やバーベキュー、町内行事などイベントには欠かせない存在となっている。
「きもの屋で氷屋?とよく聞かれるんですけど、着物だと夏の売上げが見込めないので、夏だったら氷だろう、と祖父が考えて始めた商売なんです。」
店頭販売であるかき氷も1個から行っており、近所のOLさんや学生たちも気軽に立ち寄って、買い求めていく人気商品になっている。
「氷屋のかき氷はひんやり状態が長持ちして、シャリシャリ感がいつまでも続きます。美味しいって、お陰様で口コミでも広がってますね。」
早速、氷をカットする作業場に入らせていただいた。着物でお出迎えいただくのか...と思いきや、作業服であるつなぎで颯爽と登場された大高さん。
「氷の作業の時は、いつもこれなんですよ、足下に気をつけてくださいね。」
広い作業場は、当然ながら空気もひんやりとしており、土足厳禁。上履きに履き替えて通されたのは、床全面がプラスチックのまな板状になっている部屋。巨大な冷凍室の重い扉が空くと、大きな氷の固まりが登場。特大の氷をカットするような機械は、メーカーがあるわけでもなく、特注で作るそうだ。
「これからカット作業に入りますが、かなり音も大きくてうるさいですよ(笑)。」
ギーッと大音量が鳴り響く中で、氷がカットされていく。作業は手慣れたもの。ギザギザと鋭い刃がびっしりと付いた歯車が、高速回転で回る。傍目に見ていても、とても危険な作業だと分かる。
「危ない目にも遭いましたよ(笑)。本当に真剣に気をつけないと、自分の体の一部なんてすぐにカットされちゃいます。作業中にズボンが切れたりとか、ひやっとしたこともありました。」
自慢は、何と言っても独自に開発した球体の氷だ。正円の氷を特別に見せていただいた。
「年月をかけて完成させたので、作り方は企業秘密なんですけど(笑)、特別にゆっくり凍らせる手法で完成する氷です。シャリシャリの状態を長持ちさせて、口の中ですっと溶けていくんです。そのフワフワの食感にやみつきになるお客様もいらっしゃいますね。こだわりのあるお店のオーナーさんとか、あとはアルコールを提供される店舗さんなんかにニーズがあります。この氷を入れたロックグラスで飲むお酒は、これまた格別なんですよ。」
次に、場所を移動してお着物を販売する店内にお招きいただいた。ものの10分ほどで、今度は浴衣に鮮やかにチェンジ。
「いつもたすきをつけて仕事してるんで、こんな感じです。着物は小さい頃からずっと慣れ親しんでるんで、さすがに着慣れました。学生の頃から家業を手伝ってきたので、いずれ継ぐことになるだろうとは思っていました。」
高校を卒業後、大高さんはとある老舗の呉服屋さんに数年間修行に出た。
「そのまま実家ですんなり家業を始めるよりは、他の世界も見て...というのが方針でした。学ぶこともできて、修行に行ったことはとてもプラスになっていますね。」
祖父に引き続き、父親の背中をずっと見続けてきた大高さん。
「なんとなく影響はされているんでしょうね。祖父に関しては、昔から商売の才能に長けた人で、以前は養殖とか、いろんな分野の商売もやっていました。厳しくて頑固な祖父だったと記憶してます。父親に関しては特に印象に残っているのは氷の管理ですね。昔は今みたいに大型の冷蔵庫なんてなかったから、夏の間中ずっと、温度管理に目が離せない。休みもなく、24時間氷の管理をしていました。」
元々、大田原のこのあたりの周辺地域は、大田原城の城下町として栄えたエリアだ。
「だから昔からの商人の家が多いんですよ。うちの近所にも、創業何百年という名店がたくさんあります。ただ、街自体も寂しくなってしまって、後継者の問題とか、色々あります。寂しい話ですが。」
少年時代は毎年、夏休みといえば氷屋の手伝いが日課だったという大高さん。氷を管理する、切る、売るという行為は、もはや当たり前の日常になっていったという。
「大田原生まれ、大田原育ちで、この店も13代も続いてきた。この流れを確実に守り、次世代に引き継いでいく使命感を感じますね。」
2010.6.11 取材・文=松島佐和子
大高 忠之さん老舗を守り抜く情熱が開発した、球体の氷
昭和52年生まれ。きもの屋の老舗、那須屋に生まれ、家業を手伝い育つ。現在は「おいしい氷の店 なすや」の会社代表としても、大田原で看板を守り続けている。
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